「てのひら」(木内昇)

記憶の中にある理想的な姿の崩壊

「てのひら」(木内昇)
(「日本文学100年の名作第10巻」)
 新潮文庫

上京した母を東京見物に
連れ出した佳代子。
だがことあるごとに
「贅沢」を口にする母の貧乏性に
違和感を感じる。
上野へと出かけた日、
雑踏の中で風呂敷包みの中の
塩むすびを広げた母に、
佳代子は抑えていた気持ちを
爆発させ…。

吝嗇な母親と、
東京の感覚に馴染んだ娘とのすれ違い。
初読の際は「よくあること、
どうしてこれが小説に?」と
疑問に感じたのですが、
細部を丁寧にたどると、
いろいろなことが見えてきます。

一つは時代背景です。
本作品が2008年に発表され、
作者が1967年生まれであることを
勘案すると、
平成が舞台であるように思えますが、
そうではありません。
ところどころに時代を示す
キーワードが埋め込まれています。
「資生堂パーラー」「精養軒」などは
現在も存在しているのですが、
こうしたレストランを
登場させるのですから、
昭和の時代に違いありません。そして
初読で見逃してしまっていたのですが
「雷蔵の新しいのが
封切られましたから」という台詞。
「雷蔵」とは
「市川雷蔵」以外にはないでしょう。
勝新太郎とともに雷蔵が
大映の二枚看板として活躍した
1960年前後と考えられます
(雷蔵は1954年に映画俳優に転身、
1969年死去)。
高度経済成長期であり、
東京と地方の格差が
拡大した時期にあたります。
地方在住の母親と
東京で生活する佳代子との感覚に
差が生じるのは当然でしょう。

もう一つは記憶の中の母親像です。
佳代子は母親を
リスペクトしている(いた)のです。
教職経験があり、
知性と教養にあふれていた母。
料理も裁縫もそつなくこなした母。
身ぎれいで趣味のよかった母。
凜として毅然と振る舞う母。
佳代子にとって記憶の中の母親は、
自身が理想とする姿なのです。
その母親が、東京に出てみると
決して洗練などされていない事実を、
佳代子は次々に
突きつけられていたのです。

さらに付け加えるならば「老い」です。
かつては厳しく叱っていた母も、
癇癪を起こした娘に
何も言えないくらい
弱い存在になっていたのです。

記憶の中にある理想的な姿の母。
それは存在しないものだったのです。
垢抜けているように感じられたのは
あくまでも田舎の中にいたからこそ
だったのでしょう。
しかも都会と地方の格差の広がりが
それを明確なものとして
浮かび上がらせ、
かつ母の「老い」がそれを
決定的なものにしてしまいました。

目指していたものの形が
崩れ去ったことにより芽生えた
行き場のない気持ち。
母にぶつける娘と
娘からぶつけられた母。
その二人の心情を表現した
一文が効いています。
「道の真ん中で、幼女がふたり、
 哭いていた」

作者・木内昇は、自身の生まれる
前の時代でありながらも、
その空気感を随所にちりばめ、
緻密な構成の味わい深い作品を
生み出すことに成功しています。
現代はまだまだ注目すべき作家が
数多く潜んでいます。
木内昇の他の作品を
読んでみたいと思います。

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Tonhon NajarnによるPixabayからの画像

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